「ふつう」ってだれが決めるの?
まず、答え
「ふつう」は、だれか一人が決めたものではなく、まわりの多くの人がそうしている、というだけのことです。だから、場所や時代がちがえば、「ふつう」も変わります。「ふつうとちがう」ことは、まちがいでも、悪いことでもありません。
どうして?
人は、まわりに合わせて安心する生きものです。多くの人がしていることを「ふつう」と感じ、そこから外れると「へん」と思ってしまいがちです。でもそれは、多いか少ないかの話であって、正しいか正しくないかの話ではありません。
じっさい、国がちがえば、食べるものも、あいさつも、当たり前が大きくちがいます。昔は「ふつう」だったことが、今はそうでないこともたくさんあります。「ふつう」は、ものさしとしては、じつはあいまいなのです。
もう一歩
「ふつう」という言葉には、気をつけたいところがあります。「ふつうはこうだよね」という一言が、そこに当てはまらない人を、知らずに追いつめてしまうことがあるからです。左ききの人、めがねの人、話し方がちがう人。「みんなとちがう」ことは、その人のねうちとは関係ありません。
大切なのは、「ふつうかどうか」より「その人らしいかどうか」で見ること。人はみな、少しずつちがっていて、そのちがいの集まりが、世界をおもしろくしています。もし「自分はふつうとちがうかも」と感じても、心配いりません。その「ちがい」こそが、あなたにしかない持ち味です。そして、人の「ちがい」を、へんと言わずに、いいねと言える人が、まわりを楽にします。
へぇ、となる話
歴史をふり返ると、「ふつう」はいつも変わり続けてきました。かつては当たり前とされたことが見直され、少数だった考えが、やがて広く受け入れられる。世界は、そうやって、いろいろな人が生きやすい方へと、少しずつ変わってきたのです。
身のまわりの同じしくみ
好きなもの、とくいなこと、体のとくちょう、考え方。どれも一人ひとりちがっていて、「ふつう」という一つの型には、おさまりません。ちがっていて、当たり前なのです。