同じものなのに、人によって値打ちがちがうのはなぜ?
まず、答え
価値は、そのものの中に、はじめから入っているのではありません。「受け取った人が、どれだけうれしいか」で決まります。だから、まったく同じものでも、だれが、いつ、どこで受け取るかによって、価値は大きく変わります。
どうして?
昔は、「作るのに、どれだけ手間がかかったか」で価値が決まる、と考えられていました。たしかに、手間のかかったものは、ねだんが高くなりがちです。でも、この考え方だと、うまく説明できないことがあります。何日もかけて作ったのに、まったく売れないもの。反対に、あっという間にできたのに、みんながほしがるもの。世の中には、どちらもあります。
そこで、今の考え方はこうです。価値は、作った人の側ではなく、受け取る人の側にある。どんなに時間をかけた工作でも、いらない人にとっての価値はゼロです。反対に、5分でかいた絵でも、大好きな人がかいてくれた絵なら、その人にとっては宝物になります。手間は、価値の材料にはなりますが、価値そのものではないのです。
もう一歩
もう少しくわしく言うと、価値は引き算で考えられます。
価値 = うれしさ − はらうもの(お金・時間・手間)
たとえば、同じコーヒーでも、家で飲む一ぱいと、見晴らしのいいお店で飲む一ぱいでは、ねだんがぜんぜんちがいます。ちがうのは、コーヒーそのものではなく、そこにくっついている「うれしさ」です。ゆっくりできる席、きれいなながめ、運んでもらえること。それらをぜんぶ合わせて、人は「この分ならはらう」と決めています。
この式には、大事なヒントがあります。価値を大きくする方法は、二つあるということです。ひとつは、はらうものを減らすこと(安くする、手間を減らす)。もうひとつは、うれしさを増やすこと。安くするだけが、価値を高める道ではないのです。
へぇ、となる話
同じ500円の水でも、町のスーパーなら「高い」と感じ、山のてっぺんの自動販売機なら「助かった」と感じます。水は同じ、はらう金額も同じ。変わったのは、飲む人の状きょうだけです。価値が、ものの側ではなく人の側にある、といういちばんわかりやすい例です。
身のまわりの同じしくみ
雨の日の一本のかさ、テスト前に借りたノート、ころんだときにさし出されたばんそうこう。どれも、ふだんなら何でもないものが、その人のその瞬間には、とても大きな価値を持ちます。「だれの、どんなときに」を考えることが、価値を考える第一歩です。